伊豆文学散歩
丹那断層

丹那断層

東海道本線の熱海〜函南駅間に横たわる全長7804mのトンネルで、昭和9年に開通。複線トンネルとしては当時、日本一の規模を誇った。明治42(1909)年に輸送力が逼迫し御殿場回りの東海道本線を代替えする路線の検討が行なわれ、大正2(1913)年に熱海経由のルートが決定、測量に着手。大正7(1918)年に工事費770万円が計上され、工期7年の予定で着工された。しかし、トンネルの掘削は大量の湧水との闘いとなり、崩落事故、関東大震災、北伊豆地震なども加わり、難工事を極めた。 工期は16年に及び、総工費は2600万円。幾多の困難を乗り越えて昭和8年に貫通。翌9年12月に開通した。工事に関しては吉村昭の小説「闇を裂く道」に詳しく描かれている。

碑文

切端に達した時、親方と坑夫長たちの間から、不審そうな声が同時にあがった。切端附近の様子がすっかり変わっている。技手たちも、驚きの声をあげて切端を見つめた。 荒い肌をしているはずの切端の岸壁が、鋭利な刃物ででも切ったように平坦で、しかも光沢をおびている。 「なんだ、これは…。ピカピカ光っている」 坑夫長が、薄気味悪そうにつぶやいた。 「もしかすると、断層鏡面かも知れぬ」 地質専門の広田が、切端に視線を据えながら言った。 「キョウメンのキョウは鏡ですか。たしかに鏡のようだ」若い技手が、呆気にとられたように立ちすくんだ。  (中略)  「断層が動いたのだ」 広田の口からもれた言葉に、他の者の眼は一層大きくひらいた。 偶然にも、切端は断層線と一致していた。と言うよりは、断層に到達したので、その位置で一時工事を中止していた。地震が起り、断層の東側が北へ、西側が南へ大きく移動し、そのため、支保工の左側の柱は断層の裂け目に吸いこまれ、右側の柱が切端の左端に移ったのである。 かれらの驚きは大きく、呆然と切端の光る岩肌を見つめていた。 岩肌が鏡のようになめらかになっているのは、粘土質の東西の地塊が断層線を境にして、互いにこすり合いながら動いたからであった。岩肌には、水平に条痕が幾筋も走っていて、地塊が水平に動いたことをしめしていた。(吉村昭「闇を裂く道」より)

所在地:田方郡函南町畑