
野口雨情 童謡碑
昭和5年、野口雨情が天城を経て下田と松崎の境界にあたる婆娑羅峠を越えたときに、山のかたちのおもしろさを即興でまとめたものだといわれている。松崎実科女学校(現松崎高校)の講師だった佐藤伝が作曲し、同校でずっとうたいつがれてきたという。今は樹木におおわれているが、当時は見えていた山肌をユーモラスにすなおにうたったものと伝えられている。
碑文
天城の山が足出して 婆娑羅山脈こしらえた 天城の山の出した足 てっこぶ たっこぶ こぶだらけ
所在地:松崎町 婆娑羅峠
昭和5年、野口雨情が天城を経て下田と松崎の境界にあたる婆娑羅峠を越えたときに、山のかたちのおもしろさを即興でまとめたものだといわれている。松崎実科女学校(現松崎高校)の講師だった佐藤伝が作曲し、同校でずっとうたいつがれてきたという。今は樹木におおわれているが、当時は見えていた山肌をユーモラスにすなおにうたったものと伝えられている。
天城の山が足出して 婆娑羅山脈こしらえた 天城の山の出した足 てっこぶ たっこぶ こぶだらけ
所在地:松崎町 婆娑羅峠