
窪田空穂 歌碑
窪田空穂は大正9年秋、柿崎弁天島に遊び、松陰を偲んで五首を詠んだ。詞書に「下田柿崎なる弁天堂を見る。堂は吉田松陰が米艦に乗らんとして潜みける跡なりといふ」とある。「心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜」 〈心燃ゆるものありて〉とは、松陰や金子重輔の密航画策に思いをはせてのものである。
碑文
心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜
所在地:下田市柿崎 弁天島入口
窪田空穂は大正9年秋、柿崎弁天島に遊び、松陰を偲んで五首を詠んだ。詞書に「下田柿崎なる弁天堂を見る。堂は吉田松陰が米艦に乗らんとして潜みける跡なりといふ」とある。「心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜」 〈心燃ゆるものありて〉とは、松陰や金子重輔の密航画策に思いをはせてのものである。
心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜
所在地:下田市柿崎 弁天島入口