
古見豆人 句碑
古見豆人は天城湯ヶ島の出身の教育者にして俳人。俳誌「大富士」を主宰、伊東にも同人が多かった。市立西小学校の校長を務め、校歌の作詞を木下杢太郎に依頼した。自然石の表面に、俳人の森米城の手によって句が刻まれている。昭和50年11月伊東市文化協会建立。
碑文
白あやめ おろさん筆のごと つぼむ
古見豆人は天城湯ヶ島の出身の教育者にして俳人。俳誌「大富士」を主宰、伊東にも同人が多かった。市立西小学校の校長を務め、校歌の作詞を木下杢太郎に依頼した。自然石の表面に、俳人の森米城の手によって句が刻まれている。昭和50年11月伊東市文化協会建立。
白あやめ おろさん筆のごと つぼむ